教育における、科学と信仰の両立について
娘は、定期的にこの世界における
科学的疑問を僕に投げかけてくるので、
時間をかけて説明していくのが
僕の一つの楽しみでもあった。
例えば、「最初の人間って誰なの?」
みたいな質問に対しては、
例えば、RNAワールド仮説を基に、
それらを小学生にもわかるような言葉で、
生命の起源を話してやるのである。
娘がどの程度理解しているかはわからないが、
ワクワクしながら聞いてくれる様子は感じるので、
そんな娘の成長を、僕も幸せに感じていたのであった。
しかし、事件である。
最近妻が、熱心にも宗教的書籍を用いて、
「いい?神様はね、1日で人間を創造したのよ」
おい。
1日で人間なんて創れるか。
生命誕生からホモ・サピエンス誕生までに
40億年かかってるんだぞ。
こんなにも美しく奇跡的な自然科学を、
僕が丁寧に丁寧に時間をかけて説明してきたのに、
勝手に1日にするな!
と毎日ヒヤヒヤしているわけである。
この、科学と信仰の関係というのは、
昔から議論の対象になっていて、
特に教育においては、結構やっかいである。
宗教的な視点がなくとも、
この世界の真理は十分に科学的に説明できる。
もちろん宗教そのものを否定するつもりはないが、
人間の弱さや、社会の欠陥を補うために生まれた
概念だろうと僕は解釈しているので、
もしかしたら自分の中に、
無意識に宗教を軽蔑しているところがあるかもしれない。
まぁ、こんな具合の面倒くさい僕と、
感情絶対主義の妻にとっては、
特にやっかいかもしれない。
いわゆる全てのものには神様が宿っていて、
人の心を含めて、全てのものは
大切にしなければならないという哲学は、
これは人が生きるうえでとても大切だと思っているし、
実際に生活の中にも取り入れている。
個人的には、日本で生活するうえでは、
人格神を信仰するよりも、神道の方が、
理性的なスピリチュアリティを育むうえでも、
適当なんじゃないだろうか。
と悶々と思っている。
しかし、信仰の自由は確かに尊重されるべきだし、
どれだけ僕が理性的な立場を取っていても、
娘が将来どんな宗教的感覚や倫理観を持つかは、
娘が自由に決めるべきである。
加えて述べるなら、きっと妻も、
例えば、信仰を通して命の尊さを伝えたい
などの、なんらかの意図があって
始めたことだろうから、
残念ではあるがしばらくは見守ろうとも思っている。
「父は理性の光、母は信仰の暖かさを示す」
のが理想的な家庭とも言われるので、
僕は、引き続き、
普遍的倫理や生命への敬意を伝えていき、
娘の選択を制限せず、妻の信仰も否定しない
そんな大きな器の父親になろうと思ったのであった。
おしまい。

あー!思い出してしまった!
僕達は、はるか昔、都内の教会で式を挙げたが、
その時、神父さんに
「病める時も 健やかなる時も 富める時も 貧しき時も
夫を愛し 敬い 慈しむ事を誓いますか?」
と聞かれて、「はい、誓います!」
って答えたよな!?
その誓い、全く守ってないじゃないか!!
その程度の信仰心で、偉そうに信仰を教えるんじゃない!
イライラしてきた!