ぼくの妻は、女医

フルタイム医師夫婦による、4児の子育てカルテ

ぼくの妻は女医 ~フルタイム医師夫婦による、4児の子育てカルテ~

妻の人生は短編小説

風呂に浸かりながら、

あぁ、妻は短編小説なんだなぁ

とふと思った。

 

妻から無慈悲な言葉の暴力を受け、

周囲への告げ口外交が始まり、

僕は完全に消沈していた。

 

例によって、妻はしばらくすると、

平常運転に戻っており、

どうでも良いゴシップネタや、

本日の子供たちのニュースを、

愉快に話してくるのだが、申し訳ないが、

それに笑顔で対応できるほどの切り替えがまだ出来ない。

散々な事を言われ、まだ回復していない。

 

人生は長編小説なんだから、

一つ一つ問題を解決して前に進み、

一つの大きな物語を完成させなければならない。

一つの問題を解決せず、

そのまま次の章に進むことは出来ないのだ。

 

しかし、先日思ったが、

どうやら、妻は短編小説らしい。

ある章が終われば、次の章との繋がりはないようだ。

一つの章は、バッドエンドになることもあるが、

文字数制限が来たら、強制的に章は終わり、

次の新しい章がまた始まるようだ。

ちなみに、一つのストーリーとして

進行しているわけではないので、

なにかの拍子に「第◯章では、こんなひどい事された」

などと、急に解決されていない別の章が思い出され、

発狂したりする。

昔の問題を思い出して、仮に今解決させたとしても、

それは本章での物語での話であり、

過去の章が書き直されることはないので、

妻は永遠に過去の出来事を忘れることもないのである。

 

いつの日かの、飲み会で

 

関係ない話だが、

妻が、僕の妹に、小説をプレゼントした事があった。

その小説には妻の手紙が添えられており、

「出産おめでとうございます。

 早く元気になれるように、

 私の好きな小説をプレゼントします。

 私は読んでいないので

 内容はわからないのですが、(以下略)」

という妻の言葉が書かれており、妹は

「私は読んでいない!笑

 どういうことだ、なんでプレゼントした笑」

と大爆笑していた事があった。

あれは、一体なんだったんだろう。

妻にとって、小説の内容は

さほど重要ではないという事だろうか。