年末は、妻のホーム 大阪に
例によって車で大移動し、
年越しも大阪で過ごす事になった。
joiwife.hatenablog.jpちなみに去年の大移動はこちら参照
いつものように暖かく迎えられ、
おもてなし頂きありがたかったのだが、
常々思っていたことが一つはっきりした。
妻は帰阪すると性格が悪くなる。
まぁ、その理由は推察できる。
論理的かつ理性的に説明するのが苦手で、
自分の感性のままに行動する感情主義の妻も、
ご実家ではなんの気遣いもせず、
努力せずに良好なコミュニケーションが取れ、
思うように周囲の人間も動いてくれる。
それに対して、僕はどうだ。
「あなた、床!」と言えば、
「? 床がどうしたの?」と言われる。
子供たちが床で遊んでいるんだから、
あなたも床に座って子供の目線で遊べって事よ!
どうしてここまで言わないとわからないのよ!
私の家族はすぐに察してくれるわよ!
考えればわかるでしょう!
人の気持ちがわからないなんて最低!!
きぃー!!
こういう事である。
実際、妻のご家族は、
楽しそうに会話が進みつつも、
見事な一体感で、
それはまるで一つの生命体のように
何かしらの目的に向かって行動している。
しかしその行動や目的に、なんの説明もないので、
僕には何故こんな行動をしているのか、
これから何をしようとしているのかが
さっぱりわからないのである。
そして、さっぱりわからないから、
僕自身何をして良いのかわからず途方に暮れ、
なんとなく居心地の悪さを感じながら、
皆様の邪魔にならないように息を潜めている。
そんな僕を見て、皆やれやれという感情を
抱いていたに違いない。
会話の様子一つとっても、
我が実家と根本から異なっている。
僕や、両親、妹は、言葉が長い。
それは仕方のないことである。
なぜなら、過去を振り返り、現在を紐解き、
自分の意見を総括しつつ未来を語るには、
必然的に文字数が増えるからである。
同じ家族であろうとも、
相手の考えを理解するには時間がかかるので、
傾聴にかける時間だって長くなる。
対して、妻サイドはどうだろう。
過去は語らない、未来も語らない。
語るのはまさに今現在、
この楽しいひと時に関してのみだ。
だって、今は家族と過ごす貴重な時間。
今のこの感情を楽しむのが正義やねん!
とするなら、長い言葉は不要だ。
そのため、会話がピンボールのようだ。
パンパンと、言葉が短距離を猛スピードで行き交う。
あ、今の会話に入りたいから
僕のこの話をしてみようかなんて思っても、
時すでに遅し、会話の内容は
すでに次へと進んでしまっているのだ。
さて、こうした文化の違いは、
どちらが正しいということはなく、
お互いが寛容になって、
理解し受容するしかないわけだが、
僕が許せなかったのはただ一点、
妻の会話拒否的な態度である。
妻の行動も、ご家族の行動も、
そして本音ではどう思っているのかも、
僕にはさっぱり理解出来ないので、
「こうして良い?」
などと、最低限聞いているのだが、
例えば「いいよ」と言われたときの解釈が難しい。
本当に、いいよと思っている可能性もあるし、
いいわけないだろうふざけるな
という感情が背景にある投げやりないいよ
の可能性もある。
本当に考えても考えてもわからないのだ。
そして、終いには僕の家族にまで相談し、
熟考を重ねたうえで、
きっと本心ではこう思っているに違いない
きっとこうしてあげる事が妻の幸せなんだ
と思って行動するわけだが、
見事に全て不正解であった。
そして、不正解だった時の、
妻と、そして妻を囲む親衛隊たちの、
冷ややかな雰囲気が、
とても僕には耐えられなかった。
(大阪特有の、表面上は冷たいが、
実際にはそんなに気にしていない可能性もあるが、
少なくとも妻に関しては根に持っている)
そんな完全アウェイで、
なんとか数日間過ごし、
無事に本拠地へと帰還した現在、
改めてはっきり言いたいのは、
妻は帰阪すると性格が悪くなる
ということだ。
こちらは、異なる文化同士、
少しでも気持ちを理解しようと
会話による歩み寄りを試みているのに、
妻はと言えば、
「これくらいのこと、
聞かなくても考えればわかるでしょう。
人の気持がわからない人なんだね、
じゃぁ何を言っても無駄です、
あなたとはコミュニケーションしません」
と、コミュニケーションのシャッターを
バチンと下ろしてしまったわけで、
これは、歩み寄りの真摯な姿勢が足りないと
言わざるを得ないだろう!
そんなわけで、せっかくの年末年始、
冷戦状態がしばらく続いていたわけだが、
先ほど、妻からメッセージが届いた。
わたしの機嫌天気予報
しばらく機嫌良い
どういう事だ!?
