ぼくの妻は、女医

フルタイム医師夫婦による、4児の子育てカルテ

ぼくの妻は女医 ~フルタイム医師夫婦による、4児の子育てカルテ~

噛み合わない、夫の論理と、妻の感情

妻が、娘の洋服を見失ったのは

僕が部屋を片付けたせいだからだと

僕を責め立てた事があったが、

結局、妻が自分でしまった場所から見つかった。

つまり僕批判は、冤罪だったわけだ。

 

妻は整理整頓が出来ないので、

代わりに僕が、妻の散らかした部屋を

毎日片付けているわけだが、

それに対して妻が怒り狂い、

もう家に帰ってくるなと言い放ったのが先日。

 

以下は、そのことについて問いただした際の会話だ。

 

僕「結局、人のせいにした事をどう思ってるの?」

妻「あなたは、洗濯はしないからね」

僕「? 君は食器洗いしないだろう」

妻「?」

 

僕「もう家に帰って来るなと言ったが、

 家をキレイにして家族の帰りを待っていた

 僕への言葉としては、あまりにも優しさが無い」

妻「あなたは長女が生まれたとき、

 何もしなかったじゃない」

僕「今、昔の話はしてない」

妻「その時の保育料、私が払っていましたけど」

僕「?」

 

僕「片付けが出来ないから、物を無くすし、

 子供の教育上も良くない」

妻「食卓の上の病児シッター代4000円どこにやったのよ」

僕「それは片付けた」

妻「代わりに子供を見てくれる人を探してくれます?

 子供が熱出したら、あなたが見てくれるんですか?」

僕「それとこれとは話が違うだろう」

 

僕「家に帰るなと言うなら帰らないし、

 それならば家の事を僕がやる義務はない!」

妻「病児シッター予約してね。

 あと今日子供たちのお迎えもよろしく」

僕「君が、家に帰るなと言ったんだろう」

妻「そんな小さい話はしていない。

 今日の子供の面倒は誰が見るんですか」

僕「いや、今その話はしてない」

 

 

おわかりだろうか。

家の整理整頓の話がしたいのに、

永遠にその整理整頓の話にならないのだ。

論理的に会話をしたいのに、

全く脈絡のない会話にしかならない。

 

しかし、長年の経験でわかってきたが、

妻の中ではこの文脈は成立している。

 

例えば、上述した以下の会話。

 

僕「結局、人のせいにした事をどう思ってるの?」

妻「あなたは、洗濯はしないからね」

僕「?」

 

これを僕なりに翻訳してみると以下だ。

 

僕「結局、人のせいにした事をどう思ってるの?」

妻「結局、洋服は箪笥の奥から見つかりました。

 私がしまったことは間違いなく、

 あなたの失態ではないことがわかりました。

 でも毎日洗濯していたらそういう事もあるでしょう。 

 あなたは、洗濯はしないからわからないのよ。

 つまり、私は謝りたくありません」

 

こういう事である。

なるほど、こう言われれば、理解できる。

理解できるし、僕も続けて意見を述べられる。

でも、この長〜い行間を、妻は自分で言語化できない。

理由を説明出来ないが、確かにそこにある

イライラした感情の断片を言葉にするのが限界なのだ。

 

僕は一つ一つの事案を丁寧に因数分解して、

論理的に解決し、

レンガを一つ一つ並べて家を造るように、

家庭の問題を解決していきたいのだ。

こういった小さな問題の解決が、

最終的には大きな問題の解決に繋がるのだ。

 

しかし妻にとっては、それは苦痛でしか無く、

無駄な労力だし、面倒で仕方がないのだ。

そしてその感情の断片を口に出すわけだが、

その感情の断端にも僕が反応するので、

会話が成立しないまま、

意味不明なやりとりだけが無意味に続くのだ。

 

こうした妻との会話は、相変わらず非生産的と思うが、

見方を変えると、妻の思考は、バランス型とも言える。

一つのことを掘り下げて議論するのは苦手だが、

家庭全体を回す点では、

まぁ理にかなっている事もある。

実際、一つ一つの問題を解決しないでも、

毎日時間は過ぎていくし、

やらなきゃならないことは積み重なるし、

子供たちも成長を止めることは無い。

 

四の五の言わずに、

結果的に生まれた私の感情を受け止めて

とりあえずやるべきことをやれ

という妻の無言の圧力は、

まぁ、受け入れざるを得ない気もする。

 

結局、一つも課題は解決されないし、

僕の気持ちが晴れることもない。

それどころか、妻の

四の五の言わずに家の事やれよ

というプロセスを無視した指令が、

次第にそれもそうだなと納得してしまう始末で、

大変に不満は募るのだが、

ふん、いいだろう、

今回も、妻の勝ちにしてやろう。

 

家に帰ります。

 

いつかの寿司