ぼくの妻は、女医

女医を妻に持つ会代表の公式ブログ

急に離婚が現実味を帯びる

急に離婚の話が現実味を帯びてきた。

我が妻の場合、いつも通告は急なんだが、

今回も突然だった。

 

ここ数日、出張で数日間家に帰れなかったんだが、

LOEWEの紙袋を大切に抱えて、

妻の喜ぶ顔を想像していた矢先、

妻からの突然の

「流産したのはあなたのせいだ。許せない」

という一文が送られ、全ては始まる。

深夜3時のことである。

 

そもそも妊娠10週での流産は

母体や父親の原因では無く、

胎児の染色体異常が原因である。

そんな事は医師である妻は理解しているので、

この一文の真意は、

「あなたを許せない」の一点につきる。

 

もう少し詳細に記すなら、僕は妻の妊娠中、

一点大きな失敗を犯しており、

それは強く反省して、翌日に謝罪、

その日はなんとか事なきを得ていた。

事の概要は以下の記事に書いている。

joiwife.hatenablog.jp

要するに、仕事と育児で数日間寝られず、

しかも息子が呼吸苦で苦しんでいる中、

夜通し対応している僕の横で、

妻はずっと知らん顔で寝ていたことに絶望し、

これ以上の子供増えても育てられない…

と消沈した僕が「もう堕ろしてくれ」

と言い放ったのである。

今思い返しても、この言葉はひどすぎるし、

身の毛のよだつ発言である。

心から反省しているし後悔している。

妻が責めているのはこの点である。

 

問題は、この妻の言葉にどう反応すべきかである。

 

妻は、どうして僕があんな言葉を放ったのか、

おそらく理解はしていない。

キャパの小さい夫が発狂した

程度にしか思っていないだろう。

家に帰れない日は当直業務、

家に帰った日は夜通し家事と育児、

で、そんな夫の横で、妻はスヤスヤ寝ている。

それも2日間連続で。

逆の立場だったら、僕は絶対に声をかける。

なのに妻はあの夜、一切気にも止めなかった。

この僕の気持ちは理解していないだろう。

 

改めて謝罪するか、

あの時の自分の思いを伝えるか、

しばらく悩み、

最終的には今後の二人の関係を考慮して、

「あの時の自分の思いを伝える」

を選択してしまった結果、地雷を踏んだ

 

…こう書くと、

余計なことせずに

謝罪しておけば良かったー!と後悔…。

 

それで、深夜の3時から、

妻から天文学的な量の文章が送られてくる。

僕は僕で、夜中の病棟の急変対応などしながら

昼過ぎまで妻とのやり取りを続けることになる。

 

後になってわかるのだが、妻は

「流産したのはあなたのせいだ。許せない」

に対する僕の反応を試していたのだ。

で僕は、いつものように

理屈を語り始めたので

妻は激昂したのだ。

 

そこからは、この4,5年間、

妻のいかに自分が辛かったかの暴露が始まった。

もうそれはそれはひどい言われようで、

最初は感情的な文章で、僕の精神を攻撃してきた。

例えば、以下。

 

こんな人とどうやって仲良くすれば良いかわからない

知っていたら結婚しなかった

人間が出来ていない

きもい

包容力が持てるまで家に帰ってこないで下さい

妻一人すら大事にできない

態度を改めろ

地獄

わたし可愛そうだな

そんな人を選んだ私が悪い

本当に鬼

修復するつもりが無いことがわかりました

きらい

カウンセリング以前に友達としても仲良くない

諦めが付きました

離婚したら子供に傷がつくけど、

私がずっと辛いほうが子供に悪影響だと思ってきた

それくらい毎日つらい

だから私自身も今はとても別れたい

こんな人とは無理

今までこんな人と付き合ったことなかった

今までの人とか友達とかに本当に恵まれていた

など。

 

僕としては、家庭の為に

あらゆる犠牲を払っていたつもりだった。

仕事を他人に任せて帰宅するのは日常だったし、

研究だって全力で取り組まなかったし、

友人や上司の飲みの誘いも大半を断っていた。

いわゆる出世コースは諦めていた。

感謝されようと思ってやっていたのでは無く、

自分が大切にする上位は家庭だったから、

自分の意志でそうしていた。

立ち会い出産が相当困難なこの状況でも、

あらゆる手を使って、立ち会えるように動いたし、

結果的に、無事に立ち会うことが出来て

妻から感謝されたのは、

自分は間違っていなかったなぁと

確信を持てたきっかけでもあった。

 

タバコは吸わない、

ギャンブルはしない、(酒はちょっと飲む)

浮気もしない、キャバクラも行かない。

苦手な料理も生協のデリバリーを駆使して

自分が家にいる日は毎日作っている。

大嫌いだった食器洗いも、

掃除も洗濯も、あらゆることを率先してやってきた。

経済的にもほぼ100%僕が負担している。

妻の事はいつも気にかけている!

これ以上、何を求めるの?

っていう思いで、最初は妻の話を聞いていた。

 

しかし、

あなたは私と向き合おうとせず、

他人にばかり助けを求めようとしている

という言葉を受けて、

それまで「なるほど」「そうだったのか」

と聞いていた僕も、

いよいよ感情的になってしまい(朝7時半頃)、

お互いがヒートアップしてきた。

向き合おうとしなかったのはお前だろう!

その時は、こんな気持ちだった。

 

今までにも、ごくたまに

離婚の話題は出ていたが、

今回はその離婚が現実味を帯びてきた。

 

妻は、

「もう限界、ずっと我慢してきたけどもう無理」

「関係を修復しようと思っていたけど、諦めた」

「私から修復を持ちかけることは一生無い」

などなどの思いを吐露し、

そこまで言う!?

そこまで言われる男だった!?

とひどくショックを受け、

色々と提案するも、全て門前払いで、

もうどうしようも無くなり、

必然的に僕の方から離婚の話を持ち出した。

すると、

「離婚なんてずっと前から考えていたけど、

 子供たちが傷物になるから出来ない。

 あなたには完全に何も期待しないから

 このまませめて子供たちが大学に入るまで

 頑張るしか無い」

と言われた。

 

わりと絶望的な状況である。

 

妻は、一度心に決めたことは頑なに変えない。

関係が修復することは二度と無いだろう。

というか、それ以前に、

知らず知らずのうちにここまで関係が破滅していた

そこに、驚きを隠せない。

 

気づけば破滅的な状況になっていたが、

後半の発言を改めて読み返すと、

今後の自分の課題がうっすらと見えてきた。

例えば、以下の発言。

 

あなたから温かい言葉をもらうことは無かった

ずっと寂しかった

精神的な支えがないからこそ、

私のあなたに優しく出来ない

あなたは色々してくれるけど、

全部あなたじゃなくてもいいことばかりなんだよね

あなたにしか出来ないことがたくさんある

妻の気持ちの面をサポートしてくれない

結局あなたは精神的な支えになってくれない

必要最低限のやり取り、

最低限の配慮が出来ない人に初めて出会った

感謝も出来ない

まずは私の話や希望を聞いてほしかった

すぐに否定することを辞めてほしかった

学士のお祝いも専門医のお祝いもして貰えなかった

イベント大好きな私には寂しい生活だった

こんなに何もイベントが無い生活初めてだった

本来の自分の姿で生活できないここ数年、すごく辛い

全然楽しくない

など。

 

つまりのところ、

・家庭の経済的な管理を自分が一任する

・妻の帰宅に合わせて夕飯を作る

・妻の為に風呂を沸かせておく

・夜、妻の布団をかけ直す

・妻のために湯たんぽを作っておく

・皆が寝静まってから家事をこなす

など、自分が愛情だと思っていた行動は、

全て僕ではなくてもできることであり、

僕がやるべきことは、

妻の精神的サポート妻が喜ぶイベント計画

に尽きるという事だ。

 

しかし、それが難しい。

 

つづく。